独歩と現在の銚子探訪 その1
全国どこにでもある、いや今やあったというべきなのだろうか 。ここ銚子にも銀座通りがあった。しかも西銀座通りと東銀座
通りがあった。観音様の直ぐ北側、利根川側に東銀座通りがあ った。
私の記憶によると七夕祭りでは東西の銀座通りで道の両
側から大きな孟宗竹に吊るされた見事な飾り付けがそれぞれ数 百メートルに亘り飾られた。銚子での祭りが終わると仙台の七
夕祭りに移動されるのだと伝え聞いていた。
記憶の奥に埋没しそうな光景がある。目を瞑るとほんの近い過 去も遠い過去も時空を越えてよみがえってくる。年に数回だっ
た。母と父に連れられて銚子観音様の境内に入る。口を大きく開け憤怒の形相をした
仁王門を潜らねばならない。なるべくな
ら両親の間にいてやり過ごしたいと思っていた。この地域ではここが一番の行楽地であった。お参りをしたあと右手奥に食堂
が数件ならんでいた。砂場食堂とラーメンのきくちというところによく入った。きくちではソフトクリームがあるので子供の
垂涎の的だった。この境内には信心深い漁師町にふさわしい銚港神社もある。
境内の北側から利根川とその河口、そして太平洋を一望できる。
お寺は現在は五重塔の建立に向けて準備中です。この飯沼観音は信仰の対象として関東一円から参拝客を迎えていた。
現在の御前様によると犬吠崎の近くの同じ系列の満願寺も含めると年間を通じ成田山の成田不動よりも訪れる人が
多いとの事です。淡路まんもきっとこの門を何度もくぐっていたはずである。
仁王門の前は北と南と西に分岐する変則Y字路になって、西には銚子西銀座通りがのびている。その通りのはじまる左手には
幕末から明治にかけて吉野屋旅館があった。現在は今井書店のあたりになる。
500メートルほど離れた東町の天金旅館は現在割烹の老舗として繁盛している。そこのおばあちゃんは吉野家旅館の末娘と
いう事で話を伺ったことがある。残された写真によると二階建の立派な風情をしているが、おばあちゃんの記憶では道路に面
した二階の部屋は大正後半のころは古くてあまり使われなかったと話してくれました。吉野家旅館の盛衰を見守っていたと思
われるものは旅館の中の庭にあった清明稲荷。現在でも手入れが行き届いている。独歩の母、淡路まんはこの旅館で働いてい
た。そして国木田専八と出会った。ところで淡路まんは旅館の住み込みではない。海難事故の処理で吉野屋旅館は人手不足に
なり近所の気の利く娘たちを頼ったであろうことは容易に想像がつく。淡路まんは吉野屋の直ぐ近くに住んでいた。その場所
は現在ではどのあたりになるのだろうか?
この辺りはかつての隆盛を誇った頃から続く名店がたくさんあります。
※ 天金旅館で和食をどうぞ(要予約) 本格的だがリーズナブルの辰巳寿司
※ つる弁の長崎かすてら 魚だしの坂本のラーメン 砂場食堂の蕎麦
※ 安くて量のある博雅(中華) 境内の松岸屋(中華) 大判焼のさのや
※ そばと寿司の加満屋本店 豪華な魚料理ならみうら 大衆料理まるよし
※ 焼肉の京城苑 安くておいしいみどり寿司 喫茶スナックワンワン
※ おしゃれな雰囲気の陣太鼓 万札を用意してなら鮨処やましん
※ 大ジョッキーで豚串の又兵衛 仏料理のル・クール 本格的で和める和食笑や
※ 家庭的な料理の大塚本店
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